おはようございます。
「スッキリ快晴」の朝がしばらくご無沙汰のオセールです。去年の今頃はどうだったかな~なんて思ってみても、お天気は毎年違うものなのに比べてしまうのが不思議。なので、お天気の良い5月下旬の朝に写した蝶々の写真をのせてみました。
最初、蛾?と思ったんですが、どうやら孵化してそう時間のたっていなかった蝶々。羽を広げて乾かしている様子です。体にはまだびっしりと産毛が付いていました。イヤイヤ、もしかしたら蛾なのかも…
自粛解除になって早2週間、フランスではコロナの影響が身体の他に、心にも出ている現状です。この自粛期間に夫婦の危機に直面してしまい、自粛解除と同時に離婚に踏み切った夫婦が増えています。
離婚を決断しないまでも、揺れ動いている人は少なくないようで夫の女性同僚も何か問題を抱えている様子で、夫に質問を投げかけたそうです。
個人的なことで悪いんだけど、「自粛の間、恵とはうまくコミュニケーション取れてた?」と。女性だし、友人でもないから「ウチは二人でテレワークの規則を決めて、結構楽しくやれた」と返事したんだ、と夫は話していました。
実際のところわが家の自粛生活は、二人ともとても良い精神状態で過ごせました。買い物に出れるのも週1回だったのに、料理もバリエーション豊かで、食べるの大好きな二人は太ったのがマイナスポイントくらいだった低度です。
私にとっては、日常の「~しなければならない」が減って、買い物は週一・冷蔵庫にある材料で作る・昼食のメニューはお昼近くになって決めるなど、精神的に楽でした。特に夫が在宅、つまりお昼を食べに帰ってこない・お昼休み時間が限られていないというのは、この時間に合わせる必要がなく、時計を見ながら料理し、帰宅した夫に出来立ての料理をグッドタイミングで出す必要がなかったのが一番楽でした。
一日中顔を突き合わせていることで、どんなぎくしゃくした感情が生まれたのか…人それぞれ性格が異なるように、夫婦もそれぞれ。とは言え、難しい問題です。
さだまさしさんの関白宣言という歌の中に、「幸せは二人で造るもので、どちらかが苦労して繕うものではないはず」という一説があります。結婚前は、ほんとにそうよね~と分かったようになっていましたが、結婚してみたらホントに二人で築き上げていくものだと実感しています。
築くというのは、時には一人だけが大変で、片方は楽なように見える状況もあります。時によって一方は体力で一方は精神力、でも苦労の重さに違いはなく二人で一緒に山登りをしているようなもの。どちらかが「もう歩けない」と言った時に、立ち止まって勇気づけることができれば、その先へ二人で進めます。
順調に登山している途中でも、大変だと素直に口にでき、相手の言葉を聞くために、敢えて立ち止まれる勇気があったら、世界中の夫婦に危機は訪れないだろう…と思います。
私たち夫婦はちょっと変わっていて、私は夫が偉大な聖人かと思うようなときがあり、夫は私をペコ・サムライと思っています。
夫は何毎に付け私に感謝の気持ちを伝えてくれたり、私が凹んでいる時は時間を割いて話をします。すぐ話し合えない時には、今日の夜帰ってきたら話そうと提案をしてから出かけていきます。こいつはセラピストか…と思ったり、伝道者か…と思ったり、時々天使のごとくに頭に金冠を付けているように感じられることも。
その夫にとって私は、底なしのお人よしで名前通りに「恵(慈愛)」のオーラを発散させる愛嬌のあるペコちゃん、であると同時にサムライのように強靭な女のようです。でも、こんな風に思えているうちは夫婦は穏やかなんだと思います。
恋愛時代は楽しかったのに、今は楽しくないと言ってしまう前に、恋愛時代はなぜ楽しかったのか、会えないとどうして寂しかったのか・辛かったのか、思い出のアルバムを感情目線でめくり直してみると相手がどれだけ大事なのか分かるのではないかと思うのです。
そして、正しい夫婦げんかが必要です。正しいというのは、思っていることはきちんと表現する。家裁の人という漫画の中で、離婚の調停を申し立てた夫婦に対し、裁判官が時間をかけて二人の本音を引き出します。お互いの思い込みが疑心暗鬼を生んでしまっていることを気づかせ、きちんと喧嘩のできる夫婦は安泰ですよ、と一件落着。
「愛」というお題は奥が深いですね。
今日も一日、穏やかで楽しい思いで過ごせますように。
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